でも、翻訳ミスがあるところで、「手作りの日本語」を作っている。手作りでもいいけど、外人だよ。外人。
とにかく、誰も読まないといけないというのはないから、一応必要のところで手作りの日本語を入れ替えている。
今日もそう。英語では「一ドルの真価」というのがある。ある意味で一ドルの真価は一ドルだ、もちろん。でも「一ドルの真価」を認める、認めないというのは、お金を上手に使う、使わないということ。
英語版ではそんな話が入っていて、その上、作家のルイス氏が冗談も入れた。(冗談がいっぱい入っているからこそこの作家が好きで、また、あるから訳も難しいのかも知れない。)
この冗談というのは、自分の手作りの日本語で言えば、「バートは役に立つ人間ではあったが少々無分別なところがあり、また『1ドルの真価』を認めることができないのであった。(トツアさんはその真価は1ドル90セントであると認めていても、せっかちなバートの認めている真価は1ドル50セントを大体過ぎないのであった。)」
元の日本語訳ではこうなっていた、「バートは役に立つ人間ではあったが少々無分別なところがあり、また『一班によって全豹』を知ることができないのであった。(トツアさんは一班から豹の90パーセントを推察しえたが、せっかちなバートには一班によってその50パーセント以上を推察しうることはまれであった。」
全然違うだろう。でも、翻訳者というのは、ある程度余裕もある。あの英語の慣用表現の代わりに、この日本語の慣用表現を使うとか。そういう場合には言葉の意味は全然合わないときもある。が、正しい翻訳なら、意味は、その全豹というものは、同じではないとミスだと自分では思っている。
そのケースに、プロジェクトの中には手作りの日本語が入っちゃう。
No comments:
Post a Comment