Sunday, October 30, 2016

吾輩は三毛猫ホームズである

日本文学の猫が1905年に生まれて、70年間も名前がなかった。

Sunday, July 31, 2016

ライブ・ワイア

アロースミスプロジェクトの話です。12章に英版では或る人がLive Wireだと書いてあります。活線という意味なのですが、元気者のこともいうのです。と言っても、最近は前ほど聞かないような気もしますね。

とにかく、1944年に訳されたこの本にカタカナでライブ・ワイアと訳されていました。実際にこのプロジェクトをやっていると面白い一面はこのことですね。いつからいろんな外来語が入って来たかということです。

と言っても、疑い深い自分はほんとうにその時の日本語で使われていたのか、それとも、訳者は怠けてそのままにしたのかなと考えました。Googleで調べてみるとライブ・ワイア、ライブワヤーなどが日本語で使われていないこともないのですが、でもやっぱり多くもないですね。

元気者と書き直してから次の文章を読むと謎が解かされました。次の文章ではこの元気者のことは、英版でHeと書いてあるところで、ワイアと呼ばれていました。ということは、Live Wireというのは名前として受け取られていました!

Sunday, June 19, 2016

千松=ペコペコ?

まだちょこちょこと戦争中に日本語に翻訳された「アロウ―スミスの生涯」という小説を現代化しようとしています。古い字を現代の字に替えたり、現代使われていない単語を通じれるだろうというものに替えたりしています。その上、翻訳ミスも直すようにもしています。

そのようにしていると、最近「お腹のついた人」という意味で「千松」と書かれていました。このブログを読んでくださる日本人がそれが分かっている可能性がありますが、外人の自分は聞いた覚えが全然なかったのです。辞典で引くようにしても最初出てこなかったのです。が、一生懸命に調べると、やっぱり正しい意味のある日本語だったようですね

もちろん、自分が知らなかっただけでは使わないわけにはいけないですが、大体の日本人でも知らなそうだと、書き直した方がいいと思っています。外人の私がどうやってそれを決めるかといわれると、インターネットを使っています。ある辞典になかったり、グーグルで調べると結果があまりにも少なかったりすると使わないようにしています。

今回は「千松のふたり」というのを「飢えたふたり」と書き直しました。どうでしょうか?書き直した方がやっぱりよかったのでしょうか?書き直すにしても、このくらいの直し方でよかったでしょうか?


Wednesday, May 4, 2016

朦朧太郎さん - 書き直し

朦朧太郎さん
昔々ばあちゃんが川に洗濯に行きました。じいちゃんも魚釣りに付いて行きました。「下着汁で泳いでいた魚なんか食べたくないわよ」と言って、ばあちゃんはじいちゃんを上流の方に行かせました。
じいちゃんは楽しく魚釣りをしていると漠然と桃色のものが川の中で浮かんでいるのが見えました。二回も三回目ばたきしましたが、まだそのものが見えていました。だけじゃなくて、それからはじいちゃんがどこへ行っても、そのものが付いて回りました。何となくじいちゃんは新しい友達ができたような気がするようになりました。
としていると、じいちゃんはばあちゃんの声が聞こえてきました。「洗濯終わって、もう帰るよ」 ということでした。
「俺たちも付いて帰るよ」とじいちゃんが返事しました。
「俺たち?」とばあちゃんが尋ねました。
「うん、あの桃色のやつがどこにでも付いて回るよ
「付いて回るって?何も見えないわよ
「いるんじゃない!こっちに。ほら、あっちに行った」 と、じいちゃんはばあちゃんの方に振り向きました。
すると、ばあちゃんは「お目に何が付いているの?」と聞きました。
「何も付いてなんかいねぇ」とじいちゃんはじいちゃんらしく虫の居所が悪くなりかかっていました。

数十年じいちゃんの傍に居るばあちゃんは虫を無視して、じいちゃんの眉毛にくっついていた羽を落としてから二人だけで家に帰りました。

Saturday, April 23, 2016

おのれがいかに無知であるかを学ぶ

外人で、日本語の文学を勉強するというのは「日々おのれがいかに無知であるかを学ぶ」機会となります。

今の引用はアロースミスの10章の4の最後のところからです。小説の話は医学を勉強しているマーティン・アロースミスを指していますが、十分自分にとっても意味があります。意味があるだけではなく、意味があるからこそ美しいのです。

最近は宗教をやっていませんが、若いころやっていたのはモルモン教です。初めて日本に来たのもモルモン教の宣教師として来ました。日本のこと、日本語のことを教えたこの教会に関しては感謝しています。それに、文学の好きな自分にとってはまだ聖書、モルモン書の中身を文学としては賞しています。

今日、アロースミスで見つけた上の文書に似たものがモルモン書にもあります。エテル書12章27節:「もし​人が​わたし​の​もと​に​来くる​なら​ば、わたし​は​彼ら​に​各々​の​​弱さ​を​示そう。わたし​は​人​を​謙遜に​する​ため​に、人​に​弱さ​を​​与える。わたし​の​前​に​​へりくだる​すべて​の​者​に​対して、わたし​の​​恵み​は​十分で​ある。もし​彼ら​が​わたし​の​前に​へりくだり、わたし​を​信じる​なら​ば、その​とき、わたし​は​彼ら​の​​弱さ​を​強さ​に​変えよう。」

まあ、自分の今の考え方よりはちょっと固いのですが、とにかく、日本語に関してはこのように思っています。どんなに無知か分かることによって、段々と強くなっていくだろうと。このブログを読む方が、少しづつでも進歩が見えればと思っています。

Sunday, April 3, 2016

手作りの日本語

最近、日本人の友達に言った。普通は文学のプロジェクトでは現代の書き方に替えているだけだと。體の替わりに体、實のわりに実。そんな感じ。

でも、翻訳ミスがあるところで、「手作りの日本語」を作っている。手作りでもいいけど、外人だよ。外人。

とにかく、誰も読まないといけないというのはないから、一応必要のところで手作りの日本語を入れ替えている。

今日もそう。英語では「一ドルの真価」というのがある。ある意味で一ドルの真価は一ドルだ、もちろん。でも「一ドルの真価」を認める、認めないというのは、お金を上手に使う、使わないということ。

英語版ではそんな話が入っていて、その上、作家のルイス氏が冗談も入れた。(冗談がいっぱい入っているからこそこの作家が好きで、また、あるから訳も難しいのかも知れない。)

この冗談というのは、自分の手作りの日本語で言えば、「バートは役に立つ人間ではあったが少々無分別なところがあり、また『1ドルの真価』を認めることができないのであった。(トツアさんはその真価は1ドル90セントであると認めていても、せっかちなバートの認めている真価は1ドル50セントを大体過ぎないのであった。)」

元の日本語訳ではこうなっていた、「バートは役に立つ人間ではあったが少々無分別なところがあり、また『一班によって全豹』を知ることができないのであった。(トツアさんは一班から豹の90パーセントを推察しえたが、せっかちなバートには一班によってその50パーセント以上を推察しうることはまれであった。」

全然違うだろう。でも、翻訳者というのは、ある程度余裕もある。あの英語の慣用表現の代わりに、この日本語の慣用表現を使うとか。そういう場合には言葉の意味は全然合わないときもある。が、正しい翻訳なら、意味は、その全豹というものは、同じではないとミスだと自分では思っている。

そのケースに、プロジェクトの中には手作りの日本語が入っちゃう。

Thursday, March 24, 2016

留まらない紙に。。。

まだ一応アメリカの人間です。忘れるときがあれば、鏡を見てすぐ思い出しますが、最近日本にいます。その間に何回も訪問したのですが、住んだのが33年ぶりです。

来日をするや否や針なし(Harinacs)ホッチキスで留めてある紙を見たら「あんな器械を買わなきゃ」と思いました。買うと好きで仕方がなくて、も一つを買ってアメリカの友達にも送りました。(ところで、アメリカのAmazonでも買えるようですが、でもアメリカにいるときにはこんなものがあるのが知らなかったのです。)

宣伝のモットーを作るのが上手ではないことをこれを見て分かるのでしょうけれど、この素晴しいもののモットーを考えました:「留まらない紙に針なし。」

「この妾」:こんな日本語があるわけ?

前に文学の趣味の話をしたんですが、最近やっていると、この文書にぶつかってしまいました:自分のことを言う若い女性が「この妾」と言うように書いてありました。

いつも不思議に思う言葉はまず辞典で見て、それで分からないとき、Googleで調べます。最初の辞典でこんな使い方を見つからず、Googleで探しても妾の話の中で「この妾」というのが出てくるところは全部その話の中の妾のことを指しているだけのようでした。

元の英文を見てもこの若い女性は「I」といっているし、こんなに大きいミスがあるはずもない。。。と考えて、Weblioで見てみるとこのように書いてありました:「女性が自分をへりくだっていう語。」

へりくだってといったって、ちょっといきすぎじゃないか?ということも、Googleの結果も考えて、そのように言う時代がもうおわっているんだろうと思って「あたし」と書きなおしました。

Friday, March 18, 2016

傘の論

二人で一本の傘:相々傘

傘を差しているか分からないとき、破れた傘を差しているとき:曖昧傘

男の子は中で、二人の女の子と傘を分かち合うとき:愛々傘

この前々傘の三人を見てこう思った:傘さえあればあのような兄ちゃんでもモテルね、雨のときくらいは。。。

Sunday, February 28, 2016

陰むしゃくしゃ

陰むしゃくしゃ
赤澤(オーレッド)家康(ラスティ)
自分で何でも直す。ペンキを塗る、タイルを貼る、電気配線を繋ぐ。
自分がプロほど上手でも安いし便利なスケジュールで動く。
と言っても、大体そんな仕事をして休憩をとって戻ってみるとミスがある。ペンキがカーペットについている。タイルが斜めに貼っている。新しいコンセントが他より3センチで低い。
何でだろうか?あんなに上手にやっても、どうやってごちゃごちゃになるのかな?
それで分かった。人が休んでいる間にペンキを漏らしたり、タイルをずらしたり、コンセントを動かしたりするものがやってくる。

つまり「陰むしゃくしゃ」というやつがいるということさ。

Friday, January 15, 2016

カレーには日本橋

日本が好き。東京が好き。新宿も中野も好きですが、日本橋より好きな所はないのかも知れません。なぜかといわれますと、徳川家康もシンクレア・ルイスも関係していると信じられますか?英語でつまらないのですが、ここにはその理由が説明してあります。

今日は、も一つの理由がでてきました。うちのワイフは非常においしいカレーをつくってくれました。
こんなおいしいカレールウをつくる会社はどこにあるだろうかと思って、箱を読んでみると、やっぱり日本橋。(ワイフのつくり方の上手ももちろん関係しています。)